音楽雑学

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ギターやボーカルにまつわる雑学のページ

ラテンロック

ギターを弾く少女

ラテンロックという言葉は最初は漠然としていた。ラテン的なヒット曲がこのジャンルに入っていた。

はっきりと使用されるようになったのは、ブラジル音楽を新しいビート感で演奏したセルジオ・メンデスとブラジル66であった。彼らが歴史的ロックビートの規定による自身の名曲マシュ・ケ・ナダを演奏したときである。彼らのセカンドアルバムには、ロックの王様というコピーがつけられた。しかしそれは数年の間だけであった。69年に登場したサンタナがまさにな、とロクを完全に融合させたグループとして捉えられたからである。ギター、ハモンドオルガンなどを全面的にフューチャーした彼らはそれまでのラテン系のポップスとは違いロックサウンドに満ち溢れていた。続きエルチカーノ、マロ、などが人気を得る。彼らはメジャーな会社と契約を交わし、当時のロックシーンの最先端に登場、セールスを伸ばしていった。

しかし英語で歌うハードロックとスペイン語で伝統的なら、LISMO取りれたロックサウンドのバランスが完成されていたかというと疑問である。結局全盛期は数年、サンタナのように地位を確立したバンド以外の数多くのロックバンドは中途半端中途半端なまま姿を消していったのである。

ハードロック

ハードロックという言い方は同義反復のようでもあるが、60年代後半にイギリスを中心にやられた1連のグループは、確かになおその上にハードとつけたくなる様なサウンドの特徴持っていた。

代表的なグループを思いつくままに上げれば、クリーム、deep purple、Led Zeppelin、ブラックサバス、ユーライア・ヒープ、グランドファンクレイルロード、マウンテンが真っ先に出てくる。

もっとも、狭い意味でのハードロックは印象的のヘビーナリフの反復と曲の中間に登場する長めのギターソロを特徴とした形式に美学を求めるスタイルである。そういった意味での典型はディープパープル、ブラックサバス、GFRあたりか。

ボーカリストがギタリストが、様式を粉砕するほど強烈な情念を持っている場合ジミヘンのようなやブルースやプログレなどの他の要素も強い場合などは分類としては周縁に位置することになる。
典型としてのハードロックバンドは、70年前後に存在して活躍した。その後70年代半ば以降に頭角を現し、人気を獲得したハードロックテイストのバンド例えばqueen例えばエアロスミスはHard Rockの様式を拡散していった。一方先人たちの作った様式美にこだわるグループは、HMというスタイルを作っていった。

ヘビーメタル

HMとは、ロックの形式の中で激しさ重圧感スピード相互性などの雰囲気をいくつかの典型的な様式によって特に強調して表現するスタイルである。

その表現の特徴とは、歪んでよく伸びるレトリックしたサウンド、元の音にこの上の音を加えた2つなどで構成されるパワーコードというものを効果的に使って組み立てたヘビーさをうまく醸し出すリフなどである。

HM第一世代としては80年代前後に一大勢力をなしたアイアンエイデン、デフ・レパード、saxon、Judas priest、そしてVan Halen、ホワイトスネイクなどの名前が挙げられる。
特に全4社の情緒性を極限排除した独特なスタイルは新しい理学形式を構成していた。第二世代は80年代半ばより頭角を現す。いわばメダル黄金期を招来したギターヒーローたちだ。

イングイマルムスティーン、ジョーサトリアーニ、スティーブヴァイ、ポールギルバート。会社に共通するのは驚異的なギターテクニックである。また80年代後半にはあなたの様式として、速度売りにするスラッシュメタル、悪魔崇拝やしの世界をイメージ表現するデスメタルや、終末感を表現するドゥームメタルなどがサブジャンル化し、ファッションや他の文化と交通をなす動きを作っていった。

カントリー・ロック

アメリカ西部の白人音楽の伝統であるカントリーは、ロックのその前の歴史においても互いに影響を与え合っていたはずだが、これが大きくロックに取り出したのは70年代ごろのサンフランシスコでのことだ。

北米の植民以来、フロンティアは西へ西へと進み、1849年のゴールドラッシュによって一気に太平洋海岸に到達した。西海岸はフロンティアの終着点というわけだが、西海岸のアーティストが西部の伝統であるカントリーを発掘したということは、すなわちフロンティアスピリットの発掘再発見ということでもある。

カントリーロックの登場は60年代後半のtracked psychedelicの流行と衰退時を同じくしている。映画である「イージーライダー」と同時期の「明日に向かって撃て」の人が象徴的だがベトナム戦争への批判や逃避が1段落した後の新たな巣作りに、フロンティアスピリットという伝統が見直され、そのポジティブな姿勢が時代にあったと表現として認められたようだ。
カントリーロックの卒の成功はグレイトフルデッドのAmerican Beautyという曲だが、その後のイーグルスの世界的なヒットによってこれなら70年代のウエストコートサンドを特徴づけるものになった。