音楽雑学

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ギターやボーカルにまつわる雑学のページ

ボブ・デュラン

ボブ・デュランはレイチャールズとかジョンレノンなどの他の神様に比べて議論は何か近寄りがたいシンプルなようなものを感じさせる神様だ。
伝えられるところによるときわめて気まぐれで、しかも記者やインタビュアーをはたかせるような言動しきり、なかなかその正体がつかめない人物であるらしい。ディランのレコードセールスのピークは、フォークロックと言われ出した60年代後半と、成熟を見せた評価される70年代半ばの2つがある。特に後者ではチャート1に入るアルバムを続出している。

これに比べると80年代以降のデュランはあまりパッとしないようだ。時代の違いということもあるかもしれないが、ディランの歌自体にかつてのようなストレートな攻撃性が薄れ、謎めいた童話のような寓意に満ちた歌詞が多くなり、かつてないほどに枯れた味わいを出している。「バイオグラフ」の発表が象徴するように、これまで時代とともに、あるいはロックと共に駆け抜けてきたデュランも、ようやく立ち止まって自らを振り返っているような印象がある。だがその立ち止まり、省みるということもまた、現代ロックの状況に他ならない。デュランの存在そのものが社会のまた、ロックの寓意であるかのようだ。

ベルベットアンダーグラウンド

とかくウォーホールと結びつけて語られるグループだが、ウォーホールと出会う前に彼らの音楽の骨格は出来上がっていた。輝かしい学歴を誇る優等生で、アメリカ実験音楽に魅せられ太平洋渡ってきたイギリス人ジョンケールとバイセクシャルでジャンキーのアウトロー、ルー・リードの解剖台「ジョーのミシンとこうもりがさ」みたいな出会いがこのグループを作ったといえる。

その意味で60年代NYを象徴するバンドだった。ベルベッツと名乗っていたがウォーホールがアンダーグラウンドをくっつけ、彼の率いるザ・ファクトリーのツアーに参加させた。二枚目のアルバムの後、ケールは離れ、リードも4枚目のアルバムの録音中に合体する。その後もこの2人は陰に陽にロックシーンに影響与えてきた。ゲイやドラックをテーマにした歌を作った、でも先駆者とされるが、それだけなら彼らよりも前にもっと過激にやってたグループもあったから、つくづくルックスは大事だとわからせてくれるグループでもある。リアルタイムの名声よりも高性能影響において語られ、その影響はデビットボーイ、ニューヨークパンクからチェコのプラスティックピープルまで及ぶ。ファーストアルバムに参加した美女ニコのその後の状況も含め、これほど伝説の香りを話すグループもいち珍しい。

ジミヘンドリックス

ジミヘンドリックスがもし生きていたら70歳代の前半である。肉じゃが、キースリチャーズが共に43年生まれで11歳違い、この世代のロッカーの多くが復活して活躍しまくっているご時世のこと、ジミヘンドリックスほどの才能ならば一体どんなことをやらかしてくれたことか、想像するだけで楽しい時間つぶしになる。あれほどのメガ好き、新趣向好きの男のこと、さぞかし刺激的なこと見せてくれたに違いない。ヒップホップをもっと思いも付かの方向に引っ張っていったかもしれない。Pファンクの裏番を貼ってたかな。マイルス・デイヴィスを死ぬまで退屈させなかったかもね。ブラッドウルマーやジャンポールブレビーに肩身の狭い思いをさせたことは間違いないな、もしかしたら、うんと枯れて、ポストマーヴィンゲイをやってたりして。いやそれはないだろう。
あれほど新しい物好きのジミヘンのことだむしろジョンソンあたりと何かプロジェクトやっている方がありそうな話した。もしジミヘンドリックスを既存の現在のビックな存在なぞらえるならば多分プリンスあたりではないかと思われる。フィッシュボーンのような線とはちょっと違うと思う。というのはジミーはめちゃくちゃにハードなサウンドの中にいつも美しいメロディーやハーモニーを聞き取っていたタイプだからだ。黒人音楽の最良質を生きた男である。

グレイトフル・デッド

「ベースギターの響きが耳を打って、たちまち私たちはハッカー追跡に興味を失った。研究所からほんの100ヤードばかり下がったところのバークレーギリシャ劇場でグレイトフルデッドが野外コンサートやっている。会場からあふれた群衆が芝生の斜面に陣取って高みの見物を決め込むのを警察はなすすべもなく黙認した格好である。私は早々に仕事を切り上げて斜面の群衆に仲間入りをした。」

これはハッカー小説、クリフォードストール著「カッコウはコンピュータに卵をうむ」の一節だ。主人公がコンピュータ以外で唯一関心を持つのがグレイトフル・デッドだ。パソコンとグレートフルデット、共にヒッピームーブメントが生み出したカウンターカルチャーだ。

ともすればハイテクのカルフォルニアのオフィスと古ぼけたトレーラーに乗った現在の方々、グレイトフル・デッドの一群との間には見かけほどの隔たりはないよと言えよう。ドラッグをイージーライダーのイメージから、熱帯雨林の保護などの環境問題に取り組むバンドへのグレイトフルデッドのイメージは大きく変貌した。しかしデッドファミリーを引き連れたトレーラーのツアーや売れることに無関心なポリシーは変わっていない。この意味でデートは合衆国のカウンターカルチャーをその編成も含めて最もよく象徴するバンドと言える。