音楽雑学

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ツイスト

このブームのきっかけはハンクバラードというR&Bの歌詞。彼がティーンエイジャーが踊るツイストも見て自分のバンドミッドナイターで自作のツイストをレコーディングしたことから始まった。
シングルのB面扱いだったこの曲をR&Rを世に広めたとして知られているDJディッククラークはいたく気に入り、当時フィラデルフィアの新興レーベル、パークウェイの新人歌手チャッピーチェッカーにこの曲を録音するように勧めた。

これが全世界にツイストブームを巻き起こすことになった。軽快なリズムとチェッカーのワイルドな歌声はその後どんなツイストナンバーより刺激的である。この曲は60年9月に全米ナンバーワンを記録。その後「レッツツイストアゲイン」、「ツイスティンUSA」、「スローツイスト」等のヒットを放ち彼はツイスト王の名を欲しいままにした。
その人気の凄さはチェッカーのツイストが61年の11月にもう一度ヒットチャート駆け上ったということでも証明されている。また62年1月の全米ナンバーワンヒット「ペパーミントツイスト」を歌ったジョイ・デーとスターライダーズもこのブームに拍車をかけた。このグループはフランスを中心で人気を得てヨーロッパのツイストブームの中心ともなった。その後数年間何々水素という曲が世界中で作られていたのである。

ゴーゴー

60年代初頭、全米のヒット曲の多くはからはかつて大人が眉を潜めたような反社会性や激しいいいと思ったR&Rは失われていた。しかし64年、ビートルズのアメリカ進出により状況は一転。この影響でアメリカにもビートグループが山のように出現。同時期にこの激しいリズムにあわせて自由に踊るダンスが生まれた。
それは過去のダンスとは一線を画し、決まったステップもなく、1人自分の世界に入り込めるチャンスであった。ゴーゴーの誕生である。そんなダンスを踊る場所がディスコティックと呼ばれ若者の人気の場所となる。ここではバンドだけでなく名前の通りディスクも次々にかけられていった。そしてハリウッドにあるゴーゴークラブである「ウイスキーアゴーゴー」に出演した男がここに集まる芸能人の話題をさらい。彼こそ「ミスターゴーゴー」と呼ばれていたジョニーリバース。彼がビートルズのように白人でありながらR&Bの名曲を踊りやすいリズムで歌いまくっていたのである。
彼の「ウイスキーアゴーゴー」での実況録音盤を次々にヒットさせ合法ブームの中心人物となっていった。もちろんこのジョニーリヴァースのようなアルバムが色々なアーティストに真似され発売されたことはいうまでもない。

ブーガルー

ブーガルーは一般的にはニューヨークのラテン系のミュージシャンがマンボのような古いラテン音楽から70年代に開花する自らのルーツ音楽を新しい感覚で演奏するサルサを作り出す過程でアメリカのポップス、特にソウルミュージックとの融合の上生まれた音楽と言われる。

ソウルシンガー、ファンタスティックジョニーCの「ブーガルーダウンタウンブロードウェイ」ジャズサックス奏者、ルードナルドソンの「アリゲーターブーガル」、の2曲が67年にヒット。これにより67年から68年はブーガルーが話題を呼ぶこととなるのだが実はこの2曲はおおよそブーガルーっぽくない。
それよりも前にラテン系のミュージシャンの間ではすでに数多くのブーガルーナンバーが演奏されていたのである。最も早くブーガルーを演奏したと呼ばれているピートロドリゲス、ジョン・キューバ、エディーパルミエリ、ティトプエンテ、レイバレットら数多くがブーガルアルバムをマイナーなラテンレーベルから発売していたのである。伝統的なラテン音楽とは一線を画したポップでキワモノの的サウンドは長い間忘れ去られていたが80年代末にダンス音楽として突然ロンドンのDJたちに取り上げられ復活、復刻版も発売。そして現在ではこれらの数少ないオリジナルのブーガルーレコードは高値を呼ぶ現象まで起きている。